二兎を追うUターン転職

プロローグ – 転勤と人生を考える

篠宮です。今回は、どのような経緯で私が転職を決意し、転職活動に踏み切っていったのかを書いていきたいと思います。

東京転勤以前

ホワイト企業への入社

世の中には、最初から転職を見据えて入社する人もいれば、何らかの理由で転職せざるを得なくなった人もいるかと思いますが、私の場合は後者でした。
私が新卒で入社したのは、マイナーな業界で独占的なシェアをもっている、いわゆる「隠れホワイト企業」。

就職活動をしていたのが、リーマン・ショック後の就職氷河期だったことを考えると、その会社から内定もらえたのは、今でも幸運だったなと思いますし、感謝しています。もちろん、忠誠を誓って内定承諾し、そこで一切の就職活動を終えました。

とにもかくにも、そうして私の社会人としての人生がスタートしたのです。

蜘蛛退治に奔走、気づけば結婚。

入社後、最初に配属されたのは工場の人事部門でした。ホワイトの前評判に違わず、働き方はまったりそのもので、人事とはいっても半日床のワックス掛けしてたり殺虫剤片手に蜘蛛退治してたりと、今思えばそれでよく給料貰えてたなといった状況。

残業も月に15時間ほど(時期によっては一桁のことも)だったので、持て余した体力は遊びに溢れんばかりに注がれ、あれよあれよと言う間に結婚。入社4年目、26の初秋のことでした。

そして転勤へ

とはいえ、仕事もそれなりに真面目にやっていた私。結婚したばかりの私を気遣った上司が上で話を食い止めてくれていたようですが、1年後にはとうとう、東京本社転勤の声がかかったのでした。

実はその少し前から、私には目指す姿がありました。
自分の今後のキャリアを考えるなら、工場で誰でもできる仕事をしているよりも、東京にある本社で経験を積むほうが有意義だという思い。
かたや、結婚したばかりで、これから安定した生活基盤を築いていきたいという思い。その両方を叶える、「東京本社配属・関西駐在」を上司に訴えていたのでした。

しかし、世の中そう甘くもなく、下ったのは東京配属で真っ当に東京勤務。その日の夜、奥さんを説得し、翌日には「承諾」を伝えました。


が、奥さんは東京へは着いてきてくれませんでした。

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